2011.08.06
横須賀の三笠公園に保存してある戦艦三笠は、日露戦争の日本海海戦で司令官・東郷平八郎と共に、日本に歴史的勝利をもたらした鬼のようにかっこいい戦艦です。
今は資料館として残っているんだけど、甲板や展示室など見学できるところはたっぷり。
特に一番てっぺんの、東郷平八郎や秋山真之が立って指揮を執ったマスト下の甲板にはこんな印があって興奮します。
ロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎、秋山真之のT字戦法はこの強固な戦艦三笠なくしては成り立たなかったとまで言われているそう。
この時代の軍艦は側面に多く砲台が並んでいるので、単縦陣で進行し、並列の陣形で砲撃し合う戦い方が主流だったらしい。
T字戦法とは、まっすぐ進む敵艦隊の進路を塞ぐよう直角に艦隊を配置し、砲撃する戦法。
縦に連なる敵艦隊の後続艦が遠くにいるうちに、こちらは全艦隊で砲撃できることから、この陣形につくことができれば圧倒的に有利な戦いになると言われていた。
ただ、相手もその対応陣形を熟知していたり、海戦では絶えず陣形が変化することから、実際にT字に入ることは不可能に近かったらしい。
それを可能にしたのが、かの有名な「トーゴーターン」!と、この戦艦「三笠」!なのです。
単縦陣で接近を図った両艦隊。
そのまま砲撃に入るかと思いきや、すれ違う寸前に思いっきり左に舵を切る三笠!
いきなり回頭した三笠に、バルチック艦隊は「トーゴーは気が狂ったのかと思った。勝利を確信した。」と話したそう。
直前で回頭するということは、敵艦隊に限りなく接近した状態にあるにもかかわらず、T字に入る間移動に注力することから、防衛体勢はとれないということ。
バルチック艦隊からすれば、打ち放題ということね。
リスクを負うことは分かっていたけれど、東郷と秋山は戦艦三笠の圧倒的に強固な艦体と、三笠に連なる俊足な味方戦艦たちを信じて、トーゴーターンに踏み切ったらしい。
全艦隊が回頭を完了するまで三笠は16発の砲弾を受けたそうな。
その間砲弾を浴び続けた三笠の甲板では、終始指揮を執る東郷平八郎の姿が確認されていて、この時点で亡くならなかったことが不思議だと言われているらしい。
こうしてT字に入ることに成功した日本軍は、約30分間の砲撃戦でバルチック艦隊戦艦の多くを沈めることに成功。
バルチック艦隊先頭にいたクニャージスヴォーロフは舵が故障し、北へ逃げるような形になった。
その回頭を逃げていると勘違いした東郷は、逃がすものかと第一艦隊を率いて後を追う。
これは、この海戦で東郷が下した唯一の誤った判断だった。
が、これが結果的に後の勝利につながっている。
「クニャージスヴォーロフを追え」という指令が出ていたが、これを第二艦隊の参謀・佐藤鉄太郎は舵の故障だと見破り、後続の戦艦たちに「我に続け」と指示を出し直し、バルチック艦隊本隊の逃亡を阻止。
東郷平八郎という絶対的な司令官の指示を、自らの目で判断し直し、最良な指令を出し直した佐藤鉄太郎なくしてこの勝利はなかったんだよ!
そして、その佐藤の判断を受け入れ、瞬時に指令を下した第二艦隊司令長・上村彦之丞の決断力と二人に信頼関係も素晴らしいね。
クニャージスヴォーロフの回頭が舵の故障だと気がついた東郷平八郎と第一艦隊は、バルチック艦隊本隊を捜索に戻る。
そこで、偶然バルチック艦隊本隊と鉢合わせ、東から追ってきた第二艦隊と思いがけず挟み撃ちする形になる!
なんと、図らずも別行動をとった東郷・秋山率いる第一艦隊と、上村・佐藤率いる第二艦隊それぞれの決断が、この決定的な陣形に自らを導いたってこと!
このときの艦隊運動を、ロシア軍は「日本の艦隊運動はまさに神のごとくであった」と語っているそうだよ。
こうしてそのあとも撃ち合ったりなんだりして、結果日本は最強のバルチック艦隊を沈めることに成功。
日本艦隊は秋山参謀、上村提督、佐藤参謀など適材が適所に配置され、それぞれが組織的に、有機的に、最善の決断を下すよう、よく教育されていたんだよね。
日露戦争の勝利は、この軍人たちと戦艦三笠なくしてはありえなかったということだ!感動!
だいぶはしょってダイジェストでお送りした日本海海戦ですが、わたしの曖昧な知識のつなぎ合わせで記述しているので、間違ってるところもたくさんあるかも。
でもこんなすごい人たちと、こんなすごい戦艦が戦って、勝利したということは事実です。
彼らの命を懸けた戦いに、ほんとうに心から感動したというわたしの気持ちが伝わればそれで良いです。
坂の上の雲を読み終わったら、もう一回三笠を観にいきたい!
Z旗「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ。」
No comments:
Post a Comment