2011-09-30

so, london

東京を、25日に発ちました。
ロンドン5日目。記念すべき初ロンドン日記。
曇りが多い事で有名なロンドンは、いまのところ気持ち悪いほどよく晴れ渡っています。
あったかくてきもちー。というか暑い。夏だなこりゃ。

飛行機で約13時間。東京から遠く離れた街です。
旅路は結構すぐでした。映画いろいろ観ました。
REDLINEをご用意いただいたJALに惚れた。
センス良し。2回観た。大好き!
フライト自体は早く着いたけど、アラブ系のフライトと入国審査がかぶって鬼混み。
学生用の記入用紙を列のど真ん中で座り込んでゆっくり書くアラブ人。
詰めても進むスピードは変わらんし。と傍観する日本人。(わたし)。
すぐにイライラしはじめて、私越しにアラブ人に文句を言い始める韓国人。
世界の縮図や。と思った。

日本へ出張の父と空港で5分程度話し、諸々受け取る。
部下の西島さん(笑)におうちまで送ってもらって、わたしのロンドンライフは始まりました。
父が生活しているはずのこの家は、生活感がなく、殺風景で寂しい感じ。
小学生の時にドイツに引っ越した最初の夜を思い出した。
簡素なご飯を食べて、真新しいカバーのベッドに入って眠りにつく、あの居心地の悪い感じ。
でもここにはあの時と違い、自分の意志で来たので。
深呼吸をして、毅然とした態度で眠る。


一日目はBethnalGreenに住むAYANO FUKUOKAと、おともだちのKWAMEとランチ:)
当然、FISH&CHIPSを食べる。イギリスだもの!
KwameにとってもおいしいFISH&CHIPSのお店に連れてってもらえて、大満足。


二日目はノッティンガムでお洋服を作っていたゆりとデート。
Shoreditchという静かでおしゃれな街へ連れてってもらった。
BethnalGreenとも近いけど、Shoreditchは落ち着いた街というイメージ。
日本でも静かなところが好きだったし、平日のShoreditchはかなり好きかも。
おしゃれな靴やさんのおばさんとお話したり、Wait&Labourというハウスグッズのお店でかわいいミルクパンを買ったり、なんかとてもゆったりした午後を過ごせて本当に良かった。
Shoreditchのお店は鍵がかかってて、ベルを鳴らしてわざわざ開けてもらう。
こんにちはってドアを開けてもらうと、ともだちんちに来た気分になる。
いつも思うけど、外国ではお店に入るときhelloと声をかけられる。お客さんも絶対helloって返す。
日本ではいらっしゃいませと言われるから、はいいらっしゃいました〜って気分になって返事をしない。
スタートラインが違うよね。

お散歩しながらかわいいお店で日本のみんなに送るカードを買ったり、一年間の近況報告をしていたりしたらWhiteChapelGalleryというところにたどり着いた。
真っ青な空に綺麗な色のレンガと白い門が映える、無料のアートギャラリー。
歩いててギャラリーにたどり着いちゃうのがロンドンぽいよね、とか思ったlol
そういえば昨日いったV&A Museumもフリーだった。あんな美術館が無料ってすごいね。日本じゃないな。
JosiahMcElhenyという人の映像インスタレーションが美しかった。
鏡を使ってパターンを反射させて、空間をつくってるの。
日本で観た小谷元彦の幽体の知覚を思い出した。
延々と続く同じパターンに、吸い込まれそうになる。
触れられたり、中に入れたり、とにかく視覚や聴覚以外の五感をいかに刺激するかがアートの醍醐味だなとよく思う。
そして言葉が通じないところでも、アートは世界共通だなと思う。
ちなみにここのGalleryのカフェはとってもおいしかった。
ロンドンでおいしいごはんにありつけるなんて、奇跡。


イギリスで一年間の勉強を終えたゆりの話を聞いて、とても勇気づけられた。
きっとこれからの二年間は東京とは離れた、ふわふわした時間になると思う。
それを終えた時に、過ごした二年をどう自分のこれから歩いていかなきゃいけない人生にうまく繋げていけるかが最重要事項なわけで...実際そこが曖昧な人をたくさん見てきた事が、この漠然とした不安を助長している。
ゆりの帰国後の話はとてもキラキラしていて、こんな風になれたら素敵だなと思った。
ありがとーゆり。もっと一緒にロンドンを堪能したかった!
wish you all the best xx
だらだらとただの記録になってしまいましたが、まあゆっくりとこんな感じにロンドン生活は幕を開けました。
だらけたらいくらでもだらけられそうで怖い。
私だらけるのほんと得意だから。
気を張らずに、うまーくやってけるといいなーなんて思います。
日本にいる大事な人たちに恥じない二年間にできるよう、頑張ります。
みんなと離れた二年間が、お互いに素敵なものになりますように!

2011-09-08

[FILM]クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲

2011.09.04
「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」

シンプルに核心を突く!
元々築き上げられたしんちゃんブランドをうまく活かした作品。
しんちゃんという土台があるからこそ、純粋に心に響く。
素直に笑って、素直に感動できる。

お話はアニメのストーリーらしからぬテーマと展開。
20世紀博という万博的なテーマパークが春日部にできて、大人たちは「20世紀の匂い」の懐かしさにどんどんのめりこんでいってしまうのね。
それに対して子供たちはもちろん20世紀の記憶がないから、置いてけぼり。
大人になりたいしんちゃんたちが、地球を20世紀に戻そうとしている組織を倒しにいく。というお話。
これに昭和のノスタルジックな描写や音楽も相まって、なんだかアニメでももっとアート寄りなアニメとか、もっというと実写でもおかしくないんじゃないか?と思ってしまうような世界観。
太陽の塔が出てきたり、あまり詳しくないけど古い型の車がたくさんでてきたり、ウルトラマンやサリーちゃん、青島幸男やシェーなど、20世紀を象徴するキーワードも徹底して散りばめられてる。
こんな大胆なテーマを、こんな繊細な描写でクレヨンしんちゃんに落とし込んでしまうなんて!
そしてしんちゃんだからこそ、説明的すぎず、おしつけがましくもなく、本当に素直にこの映画の伝えたい事がすっと入ってくるんだと思うね。
画面を彩る為の「昭和っぽさ」ではなく、「昭和のあの頃」の感動的なお話を描いたわけでもなく、「時代の懐かしさ」について真正面から描いた、男前な作品。
無駄がそぎ落とされ、本質を掴んだ、シンプルで力強い映画。
こういう誰でもなんとなく心に持っているあやふやな感情を、ごまかさずに掴んで揺さぶれる作品てとても少ないと思います。感動!

過去ってどうしても美化されていくもので、嗅覚っていうのは記憶を急激に呼び起こすんだよね。
突発的に入ってきた匂いで「懐かしい」って思う事は誰でもあると思うけど、当時の空気や気持ちを思い出すことはできても、そっくりそのままその時の自分になることはないから、呼び起こされた記憶が正しいものなのかっていうのはもうわからない。
風間くんが「懐かしいってそんなにいいことなのかなあ?」と劇中で口にするんだけど、わたしは「懐かしい」こと自体がいいことなのではなくて、「ああ懐かしいね」って人生のある期間を共に過ごした誰かと語り合って、そうしてそれぞれ未来へ進んでいく「今」がすてきだと感じます。
こないだ行った岡本太郎美術館の万博の資料で迷子ワッペンていうのを見たんだけど、一緒に行った悠策と映画を観ていて「迷子ワッペンだ!」ってなった感じがまさにそんな感じで、よかったです。
こんなにピンポイントで小さなことだけど、共通の記憶として同じタイミングで呼び起こされたりして、そんなことが嬉しいと思うよね!

「懐かしい」って自分次第で、元気が出ない時の栄養剤になったり、気合いを入れなきゃいけない時の必殺技になったり、前に進まなければいけない時の足枷にもなる。
全てが大切なことは確かだけれど、うまく付き合っていきたいなーと思います。
渡英まであと17日。!。

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クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲
director:原恵一
writer:原恵一
cast:矢島晶子、ならはしみき、藤原啓治
country:JAPAN
http://www.amazon.co.jp/映画-クレヨンしんちゃん-嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲-DVD-矢島晶子/dp/B00006K0UK
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2011-09-02

[MUSEUM]川崎市岡本太郎美術館

2011.08.28
「川崎市岡本太郎美術館」

川崎市岡本太郎美術館は、他の太郎施設よりもご両親の資料が充実していてとても良かった。
太郎の素敵なところは、絶対的なアーティストでありながら併せ持った、その人間臭さにあると思う。
作品を創る時おそらく太郎は一人なのだろうけれども、彼の人生には常に誰かがいる。
同じく芸術家のご両親であったり、彼の死後も彼の芸術家としての活動を支える敏子であったり、ピカソであったり、花田清輝であったり、誰かしらが存在する。
彼はいつでも作品に対する反応を求めている。
人間ありきの作品創りを生涯貫き通した、彼の貪欲なまでの自己と他者に対する探求心が、結局そういうことだよなといつも思わせてくれる気がする。


なんでこんなに圧倒的な人が存在するんだろう!と岡本太郎作品に対峙する度に思ってしまう。
この人の作品は、言葉は、他の何にも似つかない圧倒的な力で私の脳みそをこじ開け、心臓で爆発する。
私はまだ若輩者の23歳で、自分は何者かになれる気がしている。
だけど、この人から言葉やイメージを投げ掛けられる度に、ひたすら自分の小ささが恥ずかしくて、いたたまれなくなる。
彼を見て、悔しいと思えるまであとどのくらいかかるのでしょう。
対等とまではいかなくとも、彼の投げ掛けに対して一人間として何かしら呼応できるまでになりたい。